六ツのおつぼの蓋明け

 此の世のたしかためしのつぽの蓋とって見せたら一ツ証拠や 麦 米 柴 材木金 酒 右の六ツの品は天理教祖様が中山家の屋根をめくりて崩された時に雛型甘露台の中にお壷を埋めて、此の中に右の六ツの品を白紙に書いておかれたのである。そして、親類一統に重箱の中へ入れておくばりなされた。親類一同は結構な物でも入っていると思うて蓋を明けて見れば、『麦、米、柴、材木、金、酒』と書いた紙が入って居たので一同はこんな物を入れてと云うて皆捨ててしもうたのであるが、梶本様だけが残しておかれたそうです。
天理教祖には先に成ったら上下ひっくりかえりて甘露台が此の壷の蓋明けて神意を明らかにする者が出現すると仰せ下されてあります。
 三十年立てば玉姫世に出ると、三十年祭ついでばなしにと仰せ下されてあります。
御古記(理の普請であるから台一人にまとまる事情を心に治めること)


 ギイ
前生本席 1、麦 甘露台雛型 大西愛治郎 三十六歳
元大工 (御本席様御昇天の明治四十年より三十六年目が昭和十七年、
甘露台が三教に打ち出した年・九億九万九千九百九十九年終の年甘露台五十四歳
秀司様 大正元年より昭和二十一年は三十六年間。米谷くに甘露台となる)
(大正元年ご教祖百十五歳・甘露台二十四歳)
小寒様
前生お里ミイ 2、米 妻 大西とを 三十四歳
(大正二年より昭和二十一年)
  三人先によせる理 3、材木 月讀命 前生秀司長男の愛信十歳
(元治元年より七十五年目は昭和十三年此が一ツの切となりて
この年より十年 昭和二十二年、亥の年つっぱり)
4、金 国狭槌命 前生小寒長女の愛子八歳
【昭和十七年(泥海古記九×六=五十四年馬頭観音として出た年)
より八年目 昭和二十四年に成る、つなぎ=正月に宿りて十月の二十四日生れ来られたと云いう】
5、酒 前生飯降伊蔵 次男の正憲 五歳
(昭和十九年より五年目 昭和二十三年に成る 子の年)
申の年に、お指図の中で『ちょっとまねしてやれ』とある
此の家の母の理枚方の親様 6、柴 母 小佐枝 六十五歳
【明治六年甘露台模型の年より六十五年目立教百年(昭和十二年)
明治十五年より六十五年目は昭和二十一年甘露台が帯びを解いて甘露台誕生】
 右の六つの品は、人間甘露台の出現までの道中で、大西家の六人のお方が現場の品物で『蓋とることもいらん』と仰せられた一点が大切です。

 御筆先九号  四十五
 いままでのかんろだいというのもな
        ちょっとのひながたまでのことやで

 十号  七十七
 このたびのかんろだいというのもな
        これもいままでしらんことやで


此の度とは=今年の正月にやどり十月二十四日生れ来られたと云いう
麦=飯降伊蔵様の事
米=妻 お里様の理をもって人間甘露台が出現する事 つまり女であると云う事です。

柴=人間甘露台が学びの道に出る三輪講の事である。
 
 お歌の中に
柴なるは台の母やでくづの葉や
九重の姫がかいりてくずの葉は
玉姫の生れ来るなり柴の母
何もかもおとぎばなしは世の先の
今日こそはこの世立替え初め出し
だんだんと何か雛型もようだて

玉姫こそは九重の姫
姿あらわし子別れをする
心の姿見せて出でけり
何か知らせと思ひこそしれ
これまでなるはしごしらへなり
かりや普請のちょんの始めや

 
材木=人間甘露台が苦労の道中にふんばってつっぱって出てくるということ。
金=人間甘露台が天もつなぎ地もつなぎ衆生一切のこころをつなぐということ。酒=元本席ご夫婦が日の寄進をなされて勤め場所を建設なされ柱立のときに誰一人として神様にお神酒をお供えすることも出来んその時にお里様が酒屋に行って、帯びをかたに置かれて神様にお供えなされた時に御教祖様の喜び一方ならんお喜びで御教祖の仰せには「やれやれこれで真の柱が立ちました」と申されてお里様にお礼を申されたのであります。
右の壷の六品は人間甘露台の出てくる道中でありまして今度は米、麦、柴、酒、材木、金、この六ツの品一ツふた取り二ツふた取り充分見せた、現場の品物なら蓋取ることもいらん、不自由ない長い年限神がつれて通りて一日の日へばり付けに居ている。
此の度は女一人が誠(米)を持って、はち巻き(麦)して神のお言葉を解きに出る迄は柴小屋(柴)に学びをしていた。元治元年に柱立てするとき、帯をお酒(酒)にかえてお供えした者である。そのものがいかなる苦労もつっぱって(材木)、ふんばって道をつないで(金)出てくる物であるという事です。大西家の六人なれば現場の品物である。現場の品物ならふた取る事もいらん。これをはっきりせねば実物の甘露台が分からん事に成る。
六つの宝とは一つの理におさまる 大西家の六人ではありません。
(前生お里様本席を頂いて今生出て名を国という) 
                                                       玉水仙

 さて、神様の仕組みの一部をご理解いただけましたか?
いまだに天理教と同じお勤めをされておられますが何にも気が付きませんか?
甘露台三下りはどうして勤められないのですか?
あしきを払うて21回は天保九年戌の年より昭和二十一年戌の年迄百十年・十月十日(とつきとおか)一丈一尺の腹帯解いて十二月十日に赤衣初着して人間甘露台宣言され、道に誕生されました。昭和二十年迄戦争をとうして日本の大掃除をされ、その後、自由の世に立替、先の天皇に人間宣言をさせて、南無天照皇大神宮、南無天照甘露台として本物の元の親を出されました。本物の天皇を出現させたのです。よって大西愛治郎様は大正二年より昭和十六年まで甘露台の橋掛けとして出られたのです。本道では甘露台の取り扱い方を教えておかれたのです。神一条では朝づとめ・夕づとめは十柱の神様にお願いづとめが報恩感謝祭には甘露台三下りが勤められています。経文、聖書、御神言、おとぎ話、行事、お祭り等々全ては人間甘露台の確かな証拠に成っています。天理教の原典だけではありません。
よくよくご研究して下さいます様、心からお願い申し上げます。
                                                       合掌
天理教の皆様、ほんみちの皆様
〒577
東大阪市三ノ瀬2−3−22
神一條教本部
電話06-721-3419
FAX 06-721-0463   
資料担当 安達 政巨

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