本席夫婦と教祖様は本席様に

      本 席 夫 婦 

 飯降伊蔵様は、天保四年・奈良県宇蛇郡三本松向側東南向い東隣りに生れた。  
元治元年は三二才 御教祖様は前から「大工が出て来る」と言って待っておられた。
 伊蔵さんは大工である。
文久二年・お里様三十二才、産後の患いから御教祖に助けて頂いて元治元年信仰に入られた。
明治六年・御教祖様が本席様の所へ行かれた時、「風除けは出来てあれども、しまりなし、早くしまりの模様するなり。いつ迄も暮す場所を思案せよ、心定めて早く落着け。落着けば着物・食物・不自由なし、早く子供を返す事なら。この子供、今度返した事ならばこれ日本の棟梁となる。

子供とは(甘露台の事)と申された。 明治八年・本席夫婦どん底生活・お里様小店開く、よしゑ十才まさゑ四才・貸し売りばかりで毎月足らん勝、五ケ月で店を閉め、本席様は一夜の間に目がはれ上がった。御教祖に伺うと赤くはれ上がった目は案じる事いらんで。と申されたら目はすぐに直った。「世界働くと思う様に行かん 教会へ入り込め」と申された。本席様、とゆ屋のふ助に頼まれて仕事を始めた、一寸程のクイが刺さった。御教祖は何も案じる事いらん、一日も早く帰ってこい。わし一人でどうする事も出来ん、と申された。
前田のこん清が野良の仕事を頼みに来て四斗樽を作ってくれとの事、樽がひっくり返って腰を痛め動けないほど又けがをなされた。
御教祖は又何も案じる事いらんと申された。又お手入れで、本席様の顔が真っ赤になってくづれだした。西尾と言う医者に診察してもらったら牛肉を食べよと言われた。

     教祖様は本席様に

 「日本一の大工にしてやろうと神様が教えられるのに一文を拾うて歩いている」と申された。

ある日の事、小さい仕事をされ棟上げの時けがをなされた。 片手を包帯され、又よしゑ様は風眼になられ、政真様はおしとなられた。そして本席様は心定めなされ十日程にて御守護頂き全快なされ此れ迄に五・六回のお仕込があった、因縁なくして地場には引き寄せない。

教祖様のお宅へ本席様が引越すにはお金がないので困っておられました。 ある日千歳村のバクロウが仕事を頼みに来てくれました。引き受けて三百円のお金を受取りなされ本席様は常より真実の有る方ですから、出入りの人達が気の毒に思い、又浅田一郎という人は鍛冶屋でした。本席様のお心を察して、貸したお金をまけて上げると言われ本席様は真実誠の方ですからまけていらんと言われ結局は借りとして話し合いが付きました。
教祖様が本席さんに道具はいらん、道具は神の方から造らえて待っていると申された。
明治十五年二月八日・道具を人に恵まれて、弟子の音吉を連れて行かれた。 御教祖は前からお心に浮かんだので六人連れて伏せ込むでと言われたのである。お里様は家内は五人しかないのにと思い又子供をお授けて下さるのかと思われていたのである。 
二月八日 昼の事・これからは世帯万劫末代働かしてはならんと申された。 

永年信仰が続いたので此の時に申されたのである。今迄随分苦労もしたけれど道一条に成られなかった社会官憲圧迫・そばの人に対する一方ならん苦労を成され、夜はお社を造りて信者にわずかのお金をもうけて教会に尽くされた。  中山家に取っては出入りする人に、ののしられ朝早くからのお百姓仕事は止めてくれと申され言われるままに成される。けれども世間の人々の口がうるさくて苦労なされた。 
又お手入れを頂き、腸をこわされて仕事を止める事に成られた。
御教祖様は本席様のお心を慰められた時には官憲圧迫にあい、社会の攻撃を受けられた。
 御教祖様は本席様にもみを三粒持って手のひらを出され
「一粒目これは朝起き、二粒目これは正直、三粒目これは働きやで」と仰せられ「此の粒をしっかり握って失わん様にせにゃいかんで」と教えられた。本席様は生涯この理を守り通された。

 お里様は産後の患いから御教祖様にお助けを受けられ、お助け頂いたお礼に「お社でも造って納めたい」とお伺いした所、御教祖は「社はいらん小さい物でも建てかけ一坪四方のものを建てるのやで一坪四方の物、建家でない」と仰せられ更に「継ぎ足しは心次第」とのお言葉があった。
(先になったら人間甘露台が出現したらつないで行けと言う事)その頃、御教祖は御老体の御身で日々御苦労の時でした。多くの信者もありましたが皆我が幸福を祈る者ばかりでした。
その中で本席様も大工仕事で日々お稼ぎの時であったが、御夫婦相談なされて成る丈お世話申し上げ様との事でお里様は御教祖の御心中の御苦労を根本からお助け申し上げられた。
又元治元年勤め場所が出来、真の柱立ての時 道は何とも言い様の無い困難の時であった。
だれ一人御神酒を上る人も無かった。お里様は帯をお酒にかえて御神酒を御奉りになった。
めでたく柱立てのお祝が出来て真の柱が立った。その時の御教祖のおよろこびは、実に言わん方なしで「真の柱が立った」と仰せられた。又八方の神が手を打ったと言う。
実に天からのお喜びのお祭りであった。此の神酒の中に御教祖の大御心とお里様の真心がこめられてあった。

此のお神酒が七十五年たって立教満百年祭に甘露水となって三千世界助け一条の為一烈の寿命薬となって現われたという実に不思議な天のお仕組みであります。

 明治十一年旧十一月六日・此の時、まさゑさん、政真さんお障り有り教祖様は政真の事は知っているかと申された。 お里様は一日も早くお屋敷へ帰らして頂きたいとは存じて居りましたが、いちの本の人等が親切に言うて下さるのでと申された。 御教祖は人がすくから神がすくのや、人がおしがるから神がおしがるのやでと申された。
 お里さんはのがれる事が出来んので我子が沢山有るのでと申された。 御教祖は子があるので楽しみやで。 その様な事言うたらいかんとやさしく申された。 
自己を自分の力で自分を引まわして行く事は行きづまりが出来る人間の力と言うものは限あるから、みつくろうて行く事が出来ない、神様にもたれて行く事こそ人生に大なる所の幸、偉大なる事が出来る。(神のお言葉の力)神の思惑にそって思召にしたがう事が肝心。 
お里様は心を定め一部始終を本席様に申され相談の上、まさゑさん十才政真さんとを連れて三人丈御教祖様のお宅へ定詰に成られた。  
此の時が、一番どん底であった。

 お里様の一番つらかった事は子供がいたづらを思いのままにするので、お気を使われ、又お里様が眼病にかかられた。 十二月には入ってからの事、一途に御教祖様に仕込まれなされた。

 目が悪いので、いちの本の本席様の宅へ帰られたら、お里様の心だめしを成された。
本席様の申されたのに自分の家が有るから帰って来たのかと申された。 お里様は正月元日に早速御教祖のお宅へ帰られた。その時、お里様は悟られて又目が悪くなると困ると思われた。それからと言うものは熱心に心を造られた。

     明治二十九年三月三十一日に
 お里様長い道中連れて三十年来、寒い晩にある物も無かった。あちらの枝折くべ、こちらの葉を取寄せて通り越した。神の話にうそはあろうまい。

     明治三十一年十二月三十一日午前一時
 どんな者出て来ても、あたえる物も無い所、大工と言うて伏せた事。三十五年以前より、つゑ柱一ツにして連れて通りて開いた道。
此の理は此迄、といた事はない

 裏かじや表大工や中どうじゃ   おさまり無くば無きも同然

 此の道に三社三棟の道理おば   古き話に知らしあるなり

 甘露台三棟の中の真柱      余分の一人たずねさがせよ

裏かじや=お里様(御教祖の内侍として世界助けと言う大きな助け舟のかじ取り役をされた)

 表大工=本席様

 中とは=中甘露台(神一条人間甘露台)

 此の道=今度建てかわる甘露台一条の道

 三社三棟=此の神屋敷の内に裏中表の三軒を建てる事

 古き話=元治元年に御教祖が本席夫婦をもらい受、お里様をおひざ元で充分お仕込になって、お里様の美しい心をお受け取りになり、此の二人の心味合い充分御満足の上、天の思惑一切何かの事はまかせ置くとお約束なされた古き御神意であります。

 真柱=神の思惑の真柱とは人間甘露台の事である。

 余分の一人=御教祖様百十五才理の切れ目の時 甘露台二十四才で、おさしづに西の余分一人こちらへこちらへと仰せある。

 皆が自分の幸福や出世を願うばかりの中で、ひたすら御教祖へ真実を尽くされた。

以 上

神 一 條 教 本 部 
神 一 條 打 明 場 所
玉 水 仙

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