人間甘露台とは

人間甘露台と言うは一ツの理、中に治まるものであります。なれども心澄ます為に月日 

が入り込んであちらこちらと連れて通りて苦労の道中を見せたり聞かしたりして仕込んで

歩いたのや、この世最初から仕込んで来てある。 何も此の一代に効能も位も持って帰る

のやない。 手柄さしてやない。  心澄ましてさへ帰ればよいのや。 いっさいの事

は年限来るまでに、仕込んであるから其のために鎚も道具、どんな道具もあたへて仕込ん

でいた中に、月日親様入り込みといていてときつくして育てヽ通り居る、又そうしてあっ

たのや、是れ知らんから皆めいめいに色々の目で見て、あんなこと言うていると人間では

思うて居るが、月日が仕込んでいる事知らんからあんな事という。 何にもどうこう道、

見せた事もあろうまい。 これ不思議というて目に見せた事も有ろうまい。天理教の御教

祖様の御道とは違うている。何が違うというなら功を積み下されるのも御教祖様である。

人間甘露台に付きそうて長年育て下されて 今日の日、神一条のため人間甘露台の道を始

めるために月日入り込んで思いを重ねたものである。『効やのうて月日入り込みの社で元

の理であった』とご神言の中に書き残し下されてあると教え下さるのであります。

星についてさとしてあります。(北極星=甘露台)

この星どんな星、北極星という 働かぬ星 働く事出来ぬ星、又動いては用無し星とも

言えば世にも困る星とも言う。 何も効をなす星やあろうまい。働き星とはちがう、ただ

目標となるばかり 標準となる「斗」り台と思へば真ともいう それで台に昇りて此のた

び月日の働きにて、人間甘露台に入り込んで世の立て替えという その台に入り込んで生

涯天の思召しを伝え下されるというてある。  「似」という一点の理も同じことイザナ

ギとイザナミとの真ん中の一点は此の世の元の因縁という。 同じ人間という中に一ツの

「印」をしたは中という。  台として、是まで月日様と岐美様がかヽへ来た年限経って

母様と一ツ住居の身の内という。  じっくり月日がかヽへて末代標準という。これを

人間甘露台という。 どの神様がどうなったからどうやこうやない、どうでもこうでも是

は人間甘露台に年限きたらこうという。 不思議生まれ子として出現さして世の初めより

定まりありた理 そこで親代りともいう。 そうなければ天の月日様御楽しみない。  

すれば日様同じ事、真というは小さいもの細いものという。 めいめいの心につヽしみて

ふみ止めること第一である。台というはかたいもの、低いものやさしいもの、心の広いも

の深いものというはへだてないのが大きいという。細いというは小さいというめいめいの

心身のつヽしみて足納という。  甘露台というは土地に立ったている。そうして八尺二

寸(元治元年より八十二年は昭和二十一年になる)床の上から見ればどんな小さい低い人

よりも低いで、是れが人間甘露台の精神である。理は天つき通しであるからその人の理は

人間より低い様で一番高い 又心は充分低いから月日入り込み下された。 「甘露台とは

月日大神様の大御心にかない それ故に月日入り込み社として名を人間甘露台と稱するの

であります」どうぞ宜しく聞き分けて下さい。
                                              合 掌
玉水仙
神一条教本部 神一条打明場所本部

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