| あなたは、だまされていませんか? それとも、だましていませんか? これらの事を知らずにあなたは親神様
泥海古記は、明治二二年丑年から昭和一七年午年迄の9×6=五四年の年限です。 御教祖様は、月日の化身で日様です。 御教祖様が甘露台親様に入り込まれてひな形 それでは、おさしづが用いられてない事と先の事が書いてある事からお伝えしましょう。 是非、心静めてお目通し下さい。その上でご意見、ご感想をお願い致します。 棚の上にのせてある間は、見ていられるなれど、尻に敷くというようでは、何を思うての道か、 何を聞いての道か、何を楽しんでの道か、さあ心にはまらにや尋ねかやせ 後略
●明治二十八年五月二十二日のおさしづに 前略 刻限いつともわからん、筆に止めた理より便りにさへすれば、何も云う事はないなれど、 刻限のさしづくるくるまいておいてしまい紙の色のわるほど、ほっておいてはどうもならん 後略
●明治三十年一月十三日のおさしづに 前略 勝手の悪い事は底のけである 後 略 (都合の悪いおさしづはそのまヽにしているか取り消してありません)
●明治三十三年十月十四日のおさしづに 前略 席々(二代本席)というて出て来る、皆連れてもどる連れて帰る 中略 この指図、早くしてある、勝手の悪いもの取り消してない、皆 筆に止めたる、 皆一つに寄せてくれ頼むと迄出てある まあまあよいわよいわではならん、 つけかけた道は、どうでも、こうでもつけにゃならん、なれど小首傾け思案せにゃならん (神 は 見 抜 き 見 通 し)かくして世界八方伝える事でけん、世界から出けてこん、 神の道は反対ない 反対は道の中にある よふきき分けよ 後略 と仰せ有りました。
●明治四十年六月五日午後二時の百日さしづに 前略 さあさあ今度という今度はもなかなかの思惑十分理まとまつたるによってもふ 寳をさとしたる處 これやりとげにやならん 處々はしばし一ツの寳がわかつたとこれだけ 宝とは 御筆先 十七号 三 に この台をどういう事におもている これは日本の一の宝やと仰せ有りました
御筆先 十七号 五八 このざんねんなにの事やと思ふかな 甘露台が一の残念 (木や石の甘露台記念碑なら何も残念な事はありませんですね) 御筆先 十号 二二 (人間甘露台の事)
御筆先 三号 三一 親々の心違いのないように 早く思案をするがよいぞや 親とは甘露台の事
●明治三三年九月九日のおさしづに (明治三三年は西暦1900年です) 前略 百年先の事いうておけば三十・五十の者はしろまい なれど どうでも出てくる(人間甘露台の事)後略 お読みの通りこのおさしづは予言書に成っています。未来形でお話されたものです。 明治三三年は1900年でしたので私達人間から見れば、百年は今年になります。 是非ご思案して下さい。 御筆先 九号 四五に (石や木の甘露台は) 御筆先 十号 七七に
この証拠は ●明治二十一年六月三日のおさしづ 早く甘露台珍しい事云いかけ、又始めかけ 甘露台一条せかいにある事はいわん これから神の云ふ様にする事、だんだん聞かす、 だんだんたちきたる(年限が)はんぜん理 分かりがたない 是から天理運ばねばならん、 世界事情 世界ある道はいらん(各宗教は大神の大旨が分からんから早く神一条を踏み止 めねばならん)せいでもよいものや 通るに通られん(人間思案の心では) 世上(天理教 の道は)理に迫る 一寸一ツさしづいついつまでの事情(天理教も人間心ではならんから おさしづ一条で立つ神一条の道でなくばならんとある) 事情は甘露台早くなるならんでは ない(神一条人間甘露台をつれて通るから早くふみ止めねばならん) 連れて通る(人間甘露 台を)世上(天理教の道)理、世界の理 この事は五十年以来一年理をみてどう云ふ分かり (文久二年より大正元年は五十年の年限はひと仕切ると仰せ有ります) 古き者を向かひ取 り一寸心に掛かる、一ツ理 神一条大切な理と云ふは、古き者や、新しき者や一人ではない (明治二十六年にお里様ご逝去なされるまでに 明治二十二年に理を受けて古い理を新し い道を付けさすために五十年間の道中の苦労をさしてお仕込みの道中であろう) 皆いんね ん (いんねんよせて守護する) 古きもの失ふ 理うしなふよふ この理 聞かねばならん、 みな追々すみすみ 心を以て甘露台理を聞かす、又々刻限まちて知らそ 後略
何でも一日ある 楽しみあるということ 治めてもらいたい。 後略 (人間甘露台は月日の代理、人間の代表です。星で言えば北極星で動いて用無し星、
●明治二十三年八月十ニ日(陰暦六月二十七日)午後二時五十分 前略 真実々々台是談示出来る どんなことも話しよう、聞きよう三才童子一つの理をも ち今日の指図、今日の事を知らす 明日の指図といえば明日のことを知らす、 三年先の事 を知らす、生涯と云へば生涯の理をすっきり指図する人。 人間心出そう、出すまい。 注 これで石で積み立てる甘露台は雛型、記念碑である事がお分かり頂けましたでしょうか 甘露台に寸法が組み込まれているのは 甘露台親様の年限道中です。 甘露台の高さは八尺二寸です、これは元治元年から昭和二一年戌まで八二年の年限です。 昭和二十一年戌の年は天保九年戌から百十年で この年十二月十日に赤衣初着式を行い、 人間甘露台宣言された。一丈一尺の注連縄を切って
神一条に誕生されました。このひな お産は何時も安産させて頂き、早めなりとも延ばし成りとも自由用自在 ご守護を頂いてい ます。ホウソとハシカは特別のみやげとして持ってこられたので ハシカは三日バシカで助 けて頂いています。 甘露台に 平鉢をのせるのは甘露 (寿命薬は神様の言葉)受ける台は 平鉢女である事。 始めると言う字は女辺に台と書く。平鉢の乗る台は二尺四寸で西の余分 神の用木と教えておかれた。 大正元年は御教祖様は百十五歳で甘露台親様は二四歳でした 三五年の隠れ走りと言い、御教祖様が箕の傘かぶせて連れて通られた。 大正元年から昭和 二一年迄三五年である。 大正五年御教祖三十年祭のついで話しの(今年より三十年たちた なら名は玉姫と元の屋敷に連れかえり その上なるは何時迄も よろづ助けの守護くださる) は昭和二十一年の事を言っておかれました。神一条人間甘露台親様は玉水仙で玉姫と言っ てありました。 昭和二一年の事をほのめかすためにあしきをはろうて二一回おつとめをさ せておかれました。 一日の日に始めるとは昭和二一年戌の年の事でした。 また、昭和二一年一月一日の新聞を思い出して下さい。S・EMP・一二四、丑、END
●明治二十一年七月三十一日のおさしづに 前略 天理王命と称するは一つの宗旨(御親の思惑)である 天理王命と 元一つ称するは天の月日てある 後略
●明治二十二年四月十八日のおさしづに 前略 さあさあ天理教会やというてこちらにも始めかけた 応法世界の道
これ くどきつめたる 後略 ☆天理教会とは羽衣のほんみち本部の事であります 前略 これまで運び方のほんの学びである 一寸橋かけたと同様である (天理教は応法の道)
前略 神と上と云うは ふたがあきにくい 一寸見ていよ 細々ながらこの道 みんな集まる 世界の道におされるから細々の道許したふりかわると ころりと かへる ころりとかへる 神一条の名あげ、一ツのほそぼその道 後略 神一条の名あげと書き残してありますがいかが思われますか (お筆先四号四一あす日は何でも頼みかけるでな 神一条につかねばなん) 神一条につかねばならないそうです。次ぎに天理教でなく神一条の道について のおさしづを並べてみます。
●明治二十二年八月二一日のおさしづに 前略 ころりと道を立てかへて 世界これだけの道を始めかけ 神一条世界一つの道 只一つの道始めかけ 世界大きいもう一つとない 一名一人(人間甘露台)より世上 の理治まるとめんめんそれそれ真の改め理が分かれば分かる早く通したい(神一条 の道を) 後略 (お筆先 四号 九七これまでと道がかわるとゆうてある 神は ちごふた事はゆはんで)
●明治二十一年六月五日のおさしづに 前略 又々処々をかわる処、実の処、早く求めよ いかなる道も 分かるであろう、 やれやれと云う日もあろう一ツ心早く一ツ運ばねばならん 何でもならん日柄刻限 はづさんやう 神一条の道である 早くいそげ 取りかかれ まあまあ一寸始めたら だんだん理を聞かす めんめん さとし一ツ心も治めねばならん 聞き分けわからん 天理王命名を所へ弘めかけ 一ツ事情分かる わからん多くの中 神一条ならばはか りがたく一ツの道 これが十分たしかな道 思案第一ならんいついつ迄見のがしはな らんといふ いかなる処 人間一条理では わかりがたない あやぶいものである、 早く取り替へ 早く取り替へ 神一条 神一条 後略 ●明治二十一年十二月二十日のおさしづに 前略 此の日一日のはなしこれまでは しらせあると云へども さあさあいかなる道 の理も をさめさし をさめさし さあさあさあ 神一条の道はさあさあ十分とほす 十分とほす十 分とほすさあさあわづかの間 日がちかづけばさあさあみなみなわかるわかるわかるさあさあ (神一条の所) われだけの事さあさあこれまでは一つ又これから又一つさあさあふるき処のはなし (一段は御教祖様、二段は本席様)
きはない程にさあさあ一条の道は 何時にても自由用自在なれどもさあさあなれ ど天然自然の道である 天然自然の道である 天然自然の道である 後略 ●明治二十二年七月三一日のおさしづに 前略 世界の道理上からしやんすれば わからんであらうまい どんな事を定め
るのやで神一条の道をどうでもきヽわけにやならん ながらへての道の処わかりにくい よぎなきの道でない よぎなきの道でない よう聞き分けてくれ
よう聞き分けてくれ ●明治二十一年十一月二十日 午前一時半のおさしづに 前略 心に理と年限の理と一つの理わかる いづれの話つたへ一つの理、世界の理 にもなんでやろふといふ、成程天然の理といふ今の処(天理教)はけいこやといふ まあ一つの話、あちらも本部 こちらも本部とした処が分ろふまい、地場に一つの 理あればこそ、世界治まる、この理といふは何んの事(文久二年身上より元治元年 つとめ場所) 神一つの理 一つの理知らず、因縁やしきの理しらずに地丈の理なれ ば昔からも同じ事 後略 (甘露台親様の身の内、身体をぢばと仰せあります)
● 明治二一年七月十一日のさしづに 神一条の道 聞き分けてくれ なんでもない処からだんだん道をつけてきたる処 前々より皆伝へてある、そこで大かん道とほり憎い 細い道とほりよい 皆々のいち どの処本部の方へかけあへ かけあへどうでもこうでも神一条見せねばならん みにやな らん みにやならん 後略 明治二十一年九月三十日のおさしづに 前略 神一条の道はどうでもつけにやならん つけささにやならん 後略
●明治二十二年八月二十一日のおさしづに 前略 神一条世界一つの道 只一ツの道を始めかけ 因縁 因縁の理を持って始 めかける理という十分理をきゝ分けてくれねばならん 中略 神一条の道をまだまだ 治まっていない、神一条の道を通りていると思ふたら ころりと間違ふで年限 ただ不思議や不思議や思う丈け何も分かりゃせん 又一ツ一人の小人(人間甘露台) 定め一ツの理であろう 後略
●明治二十二年九月十七日のおさしづに 前略 皆よう聞いておけもうしばらくのところ 神一条の道にしてしまう 日々取扱 いなるほど これでこそ 神屋敷、天の理いついつまでも残るという。 そこでもう 一寸前々よりも伝え話し刻限の理が分かりがたない これからは皆心を継ぎ合い、 人間の心で定めた理は道も続かん、 何かのこと頼みおく 後略
●明治二二年十月二三日のおさしづに 前略 人間心すっきりいらん もうこれから神一条と云う道を立てにやならん 立て ささにやならん 立てさしてみせる 後略
月日大神様がこう仰せあります。
●明治二十四年二月七日のおさしづに (国会、政治家は今迄どうでしたか) 前略 これから先は 神一条の道、国会では治まらん、神一条の道で治まる、 こわい道があって やれ楽しみと言う 後略 この様にも仰せありました。 お筆先 四 号 九七 これまでと道が変わるとゆうてある 神はちごうた事はいわんで 十一号 二十 皆の者思う心は気の毒や この度 ところかえて話しを お読みの通り月日大神様は天理教の道を付けるのではなく神一条の道をつけるためのひな 形であり、御神言で有ります。天理教(応法の道)ではいまだに三 三 三 九度の 仮授け 練習用の授けを渡しておられますね。 本席様の後は上田ナライト様が後を継いで、授け 一点手伝いをして来れましたが、大正七年、気のいずみの為、授け一点の手伝いがとまり 終わりました。これは当時の中山家や本部員さん方が ナライト様をいじめ倒したので気が いずんでしまわれたとの事です。その後、中山玉恵様が 仮授けを渡されましたがこれは神 様から授けを渡してもいいと言う許可がありません、依頼もありません。 勿論、中山家にお授けを渡す許可は出ていません。 おふでさき、おさしづをよく拝読して調べて下さる事をお勧め致します。
その証拠に ●明治二十七年十一月十三日午後五時のおさしづに (しんのすけ様)
う(中山家と神の道) これから運べば実に実に神の話と、どんな事でも運んでく れにゃならん(神一条の道に)大正三年にしんのすけ様四九歳、背中のヨウの為に 出直されました。中山家と神の道は切れています。この年甘露台親様は二六歳でした。 御教祖様は生まれる前からしんのすけ様の名前を付けて置かれました。その意味は真柱で あります、人間甘露台親様の助っ人役をさせるためにしんのすけと名付けられたそうです。 それから、昭和一七年午の年、甘露台親様は五四歳で三度三腹これ参り場所として、小寒 様の嘉永六年のひな型通り、天照神一条打明場所の看板を上げて仏教、キリスト教、 天理神道に三教一ツとして打ち出した年でした。この昭和一七年から二六年は昭和四二年 未の年の十一月に二代真柱の正善様が六十三歳で心臓を患って出直しされました。この昭 和四十二年は明治百年でした。天保九年から数えて五回目の二十六年です。昭和三十六年 大環の道始めより六年目に当たります。三尺にして六角にせよとは一つは昭和三十六年の 事で、この年から6年後に出直しに成ったのは四号 五にだんだんと六月になる事ならば しよこまもりをするとおもへよと仰せられ、確かな証拠を出しておかれました。六月とは 六年と取るそうです。気が付いて居られないでしょうが今迄、神様の思惑通りに成ってい ます。 証拠を上げますと甘露台三下りの二下り目 九ツ このうちにいつまでも おいてもらふとおもへども (天理管長(真柱)の事 天理教のところに何時までもおいてもらふ) 十ド このたびぜひがない やかたもらうてたちかへる (と思へども人間甘露台が出現したので退かねばならん)。 明治二十二年(人間甘露台誕生)より二十六年目は大正三年初代管長(真柱)逝去 昭和十七年(泥海古記終わりの年限)神一条、三教一ツに打ち出しより二十六年目 昭和四十二年に天理教二代管長(真柱)逝去、何事も大神様、御教祖様の御残念で あります。この甘露台三下りは明治八年五月二十六日のぢば踏み止め式(天理教応 法の道では地場定めと教えている)の後、御教祖様の作られた歌です。応法の道で は教えていないので全く知られていませんが、天理図書館に行けば甘露台三十下り とか二冊有ります。十ドの後は南無天照甘露台(なむあまてらすかんろうだい)と 二回唱和します。お手振りもあり現に報恩感謝祭に勤められています。 おふでさき十二号 一三四 真実が神の心かなはねば いかほど心 つくしたるともと仰せ有りますように神様の思惑と違っていてはね。 大変です。 何十万人とおさづけを頂いているのにどうして天理病院は大きくなるの? 御筆先九号 六一 ぢきもつをたれにあたへる事ならば このよはじめたおやにわたする 六四 月日にはこれをわたしておいたなら あとはおやより心しだいに ぢきもつとは甘露台本授けの事です。 おやとは人間甘露台親様の事です。 六号 一〇六 これからはいたみなやみもでけものも いきておどりでみなたすけるで 十二号 五〇 このさきはなんぼむつかしやまいでも いきとておどりでみなたすけるで 甘露台本授けとは息の授けと水の授けです。ておどりとは十柱の神様にお願いづとめと 甘露台授け勤めの事です。 甘露台授け勤めで皆、助けて頂いて居ります。 キリスト教では水で洗礼していますが これは人の子、キリスト・イエス(人間甘露台 親様の事)が出現されてから渡すひな形の事でした。天保九年戌から昭和二十一年戌の ●明治二十四年一月二十八日のおさしづに 前略 中山家のある間、粗末にはせんと云うは、どう云う処より出るか、この理を 聞こう、神の方より聞こう 中略 親族の理を持って、ほっておけんと云うは、 どれから出たか、この屋敷では、親族の理では、世上助ける事が出来ん、苦労艱難 の道を通りて来て理を聞くなら、一ツの道も通そ 限りなき処まで尽くそうと云う は、どう言う理であるか、中山家の続くまで助けると云うは、親族の理であろう 後略 と仰せ有りました。 理の助けであり血縁ではないとの事です。理とは王辺に里と書きます。 よって、親里と言います。
又、本部員に関しては ●明治三四年六月十四日のおさしづに 前略 役員と云ふたる、本部員と云ふたる本部員は人間のつけたもの臨時見習と 云ふて一寸といたる本部員と云ふは世上の理取ってつけたるこれ違うか、違わんか ちがへば違うと云ふて見よ、一寸路銀と云ふて渡したる誰と誰本部員というて許し たる、ゆるさしょまいがな これ返答してみよ 「皆々相談してお願い出ますと申し上げ」 さあさあちがふちがふ ちがへばちがふと 一言こたへるがよい こたへるがよい さあさあちがふ事 ちがふ事承知がでけにゃいふたらよい ゑんりょはいらん、ゑ んりょはさきになってかぜ(苦情)になる、道のくもりになる。後略 ★本部員とは神様が付けられた役ではありません良く心を落ち着けてご思案し て下さい。さて、何時まで大神様は見許して下さるでしょうか。 しらん間はその ままやと仰せありますが、そうべんべんと待ってはおれんとの事ですので後悔なさ れませんように是非、ご神言をご研究して下さる事をお勧め致します。 御筆先三号 五七 高山の真の柱は唐人や これが第一神の立服 高山とは神一条から見て天理教の事になります。 唐人とは神様の思惑の分からない人の事です。 宗教と世界(社会)は合わせ鏡に成っているそうです。昭和一七年から伝えていま すが、疑い深く我がの教祖様の教えが分からないので気ままを通しておられます。 神様は先を案じて残念、立腹と仰せ有ります。 御筆先四号 一六 上たるはなにもしらずにとふじんに したがう心これがおかしい 次ぎに普請に関しては大きい建物建てて迷いの台にするなとか沢山あります。 ●明治三五年七月二〇日のさしづに 前々略 さあ頼もしい頼もしい心供えば受け取る受け取る泣く泣くするようでは神が受けとれん 百万の物持ってくるよりも一厘の心受け取る
これだけ聞きたら どんな事でも分かる (お筆先三号 一 この度は門の内より建ち物を はやくいそいで取り払いせよ) ●明治三十一年七月十四日のおさしづに 前略 たちや数えてみよ 皆かりや建てにたてかへ今日はどこにもかりや 仮や ほんに 成程という誠の誠の連れて通りた一人順序の理(お里様)があるわい 中略 裏かじや 表大工聞き分ければ神が守護、十二下りの止めは大工、
これさへ聞き分けたら苦労 せばわかる これでわかれば 一つ一つとりまとめてくれるがよい(聞き分け出来たら) 元治元年から大工夫婦が出て来られてひのきしんされました。これが種です。裏かじや とは梶本家の事ではありません 御教祖様の世界助け船のかじ取り役をして居られたお方で お里様の事です。次のさしづはコリャ大変だ。
注 八丁四面は神の館とは年限の事で文久二年から昭和二一年まで八四年です。 本普請とは甘露台親様のお話を聞いて心のふしん、心の立て替え棟上げをする事、 世界中の人に甘露台様を踏み止めて頂き、世界の心の棟上げをし、中宮を建立して 甘露台親様を奉る事です。内宮、外宮は在っても中宮が未だにありません。中宮を 建てなければ成りません。中宮で世界平和のお願つとめをつとめなければ月日大神 様の思惑が立ちません、残念も晴れません。宜しくご思案して下さい。 御筆先 六号 五二 いざなぎといざなみとが一の神
(月日大神様の入り込みの宮、社) 中宮に納まる 注 (人間甘露台親様の事で主神です、ぢば、日本とは甘露台親様の身体を指して 仰せ有ります) これでこそ八紘一宇が実現します。
南無天照皇大神宮は猿女の君の事で本物の天皇です。(君が代) (なむあまてらすこうたいじんぐう) 泥海古記の猿一人残りの所をご覧下さい。 君が代は人間甘露台親様を歌った歌であります、苔のむうするまあ〜でと人間甘露台猿女 の君様を聞き分けるのに苔(こけ)が生え、広がるほど気の長い話しです。悟りがない 御教祖直筆のおふでさき一七五〇首の中に天理王命は一度も出てきません それから、道は継ぎ目が有ると仰せ有ります。 ●百日さしづ明治四十年三月一三日に 前略 さあ さあ みなもちいるかみなもちいるか (お指図通り人間甘露台を) もちいねば 注(道の継ぎ目とは雛型の道、道理上の道、応法の道、神一条の道の事です、
とりぞこなひしている とりぞこなひしている教祖といふ道内からつぶしている 注(雛型の道は御教祖様、道理上の道は初代本席様、応法の道とは今の天理教
世界(世上一般)の道でたってあるか たってあるか 学問で立つとおもふか さあ さあ さあ 世界のきかひは何時なりとある 何時なりとかへるで 神のきかひあるか ありやしよまい (天啓者 甘露台)
こい(神一条の道に)後略 みかぐらうた、おふでさき、泥海古記、おさしづからはずれて 全く教祖の道を内からつぶしておられるのです。 それから教典を出す事も許可はありません。
●明治三十六年五月二十九日 教典提出の願いのさしづに
かりや、みなみなわかれんものばかり よりてゐる これまでとほりたことは取りかやし でけやせん 後略 この様に仰せ有ります。 これは事実です。 それから月次祭についてお伝えします。
●明治二四年一二月七日 月次祭御勤事情について伺いのさしづに さあさあ一日の日、事情これまで、おうぼうゆるしたる〔応法〕その理をもっていつ いつ までとおもうなよ ころっとかわる(天理の道から神一条の道へ変わる)今の理、それぞれ の理におさめくれ 後略と書き残してあります。天理教のおつとめは昭和二一年で終わった。
それゆえ天理教は ●明治二二年十二月二七日のおさしづに 前略 教会と云ふ名稱といふ、一ツ理と云ふは長い道中、通に通れんから一時路銀を渡し た様なもの普請にたとへて足場と云ふ、道普請にたとへて日ぐらし同然と云ふたる 後略 と書き残してあります。足場はいずれ取りますね。ついですから明治二一年六月六日 清水與之助東京出立帰宅の上伺のおさしづをお伝えします さあさあ世界理は十分の理である、神一条事情は五十年以前より、学者がしたのでもない、 文字から出来たのでもない、ちゑよりでけたのでない、さあさあ聞いても居るやろ、みて もゐるやろ、なにもない處より始めできた道、なんでもかでも通らにやならうまい、通す で、しらんは一度よりないで、ほどのう間はない、しっかり伝へにやならん、とほさにや
ならん、なんにもしらんものがみな国々へ広めさしてある、まあ云ふてみよなら、てきや、 てきが国こえて広めさしてある、一度伝へる、成程 二度伝へる、成程とおもふで皆真実 わかりくるのやでと仰せられて居られました。 注 (てきやとは 露天商、出店、天理教の事です) (神様の思惑と違う事を伝えて居られるからてきと言われました) 御教祖様は皆様の事をてきと仰せられていると思いますが違いますか なんにもしらんものがみな国々(海外伝導の事)へ広めさしてあると仰せあります。 あなた方、天理教の兄弟姉妹は月日大神様から見ててきだそうです。
●明治二九年四月二一日のおさしづに (信仰者の事) (おさしづ通り人間甘露露台を) (おさしづは書き取った物だから信じられないと言う)
道の中の反対、道の中の反対は、肥えをする處を流してしまうような もの こんな處に こんな事があったかと、鮮やか分かる程に 分かる程に分かる程に必ず必ず悔やむやない。 (神一条の道に)
このさしづは内務省訓令の時の御言葉でしたがこのおさしづから神意を掴んで頂けたら 結構と思います。これは明治時代の話しでは有りません、現代の事を話して置かれたもの です。 ●明治二十三年十一月二十一日のおさしづに 前略 出てさしづ、又出てきかし又々さしづどうりの道やなければとほれん、かわらん かわらんおなじ心に同じさとし いついつまで長いようでもそれ一ツの事情、どんな事情 ともはかりがたない そこで でてきかしおかねばならん 何をしたのやとさわぎたてる様な事ではどんならん きかしたところがわからん 後略 御教祖様が甘露台親様に入り込んで話しされているので、この様にお伝えしても分からない (理解出来ない)でしょうね 人の心と言うもなは疑い深いものですからね。 三号 二十 何にてもとかれんことはないけれど 心すまして聞くのもがないと仰せ有りました。
●明治二十八年五月二十二日のおさしづに 是迄人間の心をもってするからもつれもつれてもちも さげもならんようになる、これから 始めかける、筆に止め、筆に止め、筆に止めたら その理に定めにゃらん、 夜もねられん程会議をしても用ひねばどうもならん、もつれもつれの理はどうもうけとれん うけとれんから こまる日がある、とりかやすことできんようになりたらどうもならん 中略 刻限は旬をはずさんための刻限、こくげんはなしみな伝へ筆にとめてあるなれど、 みなはずしはずしてきた 筆にしるしあってもこれは一寸かうしておかといふやうではどうも ならんから こうゆうことになる 後略 (所を変え 道を変え 台を変えて神一条の道)
●明治三二年二月二一日のおさしづに 前略 その日旬が来たら、その理よりはこばにやならん、さあしんばしらにも注意してく れ、二代の理(二代本席)とも三代の理(御教祖様、初代本席様 人間甘露台は二代本席) ともわからん 中略 一時大工大工杖柱としてとほしてきたとさとしたる理もある、よう しんばしらにきかしてくれ しんばしらきかしてくれ 後略
●明治三四年五月二五日おさしづに (真柱始め本部員の方々)
ぽり這入って十分心を自由自在しているだけのもの、これこれなあ、ほかにきいている、 最初は ほんのあばらや 草原同様の処から 十分心楽しまして通りた連やで、後略 (お里様は御教祖様と共に苦労、艱難の道を通られました)
●明治三十二年十一月二日のおさしづに 前略 一人残してある皆の者も皆手を打たねばならん 手を打たねばならんと云ふ 理を一寸さとしおこう 後略 と仰せ有ります、いわんいえんの理を悟れとの事ですが。 おさしづに 前略 その甘露台だれであろう名をゆへば一口や その場で分かるなれど言へ ば 害になる さとし さとして事情から一日の日 自由用ことばまとめて一ツ人調べせよ 十 三年以前五月頃のことや 二人にかけ合い返事なし よほど月日もたちきたれば 成程の道と いふ人や 後略 ●明治三五年八月一〇日のおさしづに これ中に話しきかにやならん 中略 きいてやらにやならん きいてやればみなみなわかる 後略 そのはずや解いて聞かした事はない 知らぬが無理ではないわいなと歌い お手振 って教えて置かれました。) このところやまとのぢばのかみがたと いふていれども元しらぬ ここでつとめをしていれど むねのわかりたものはない
三号 六九いまヽでもしんがくこふきあるけれど もとをしりたるものはないぞや
●明治二六年十一月二八日十一時二十分のおさしづに さしづという皆先のことばかり言うておく なやめてなりと痛めてなりと はなした理にはこばす 後略(このよふを始めた神のゆふ事に せんに一つもちがう事なし) 九号 五十 ●明治二十二年三月二十三日 郡山平野楢蔵身上障りに付伺のおさしづに 前略 ふでにしるしたとほりみな でてくるのやで、おくれてあるのや みな心定めてゐる なれども心に一寸かかればあんじてどうもならん、これみんなようきいておけ、後略この 様に仰せ有ります。明治の時代背景は話しの台で現代の事を話しされておかれた物です。 ●明治二三年一一月二一日のおさしづに (生駒山を越えて東大阪の中河内に神一条教本部があります。お手振りのやまと) 山を越えて西にある 今の処ふしん(神一条は心のふしん)にかかりてある (甘露台親様にお願い すがればみんな助けて頂ける)
天理から見て西に神一条があり猿女の君が出ています) ● 明治四十年四月八日(旧二月二十六日)のおさしづに (お手振りのめずらし所が現れた) 西に余分余分余分余分余分は一人あるわへ一人こちらへこちらへこちらへ それが気に
(泥海古記に山城(京都出身)、伊賀(針山の苦労の道中)、河内(布施三の瀬に 住む)とあります。 (西陣に誕生されました) 天理から見て西に陣どっています。 明治三四年五月二五日に三八年あとこんなせきにすわりやせん 後略と仰せありました。
す。(昭和十九年は申の年でチョット真似してやろ) 嘉永六年御教祖様五六才、夫善兵衛様六六才で出直されました。 (仏教では五十六億七千万弥勒菩薩年をへんと仰せあります) 甘露台親様五六才、夫庄太郎様が六六才で出直されました、雛型通りでした。 天保九年戌年から昭和一九年申迄一〇八年です。一〇八つの煩悩、除夜の鐘も雛型でした。 鐘と言う字は金辺に里を立てると書きます。金はつなぎ、神一条の道につなぐ事です。 昭和一九年申の年、二十年酉の年に引き出し、二十一年戌の年に猿、キジ、犬をケライに 出現した。 甘露台親様が出現されて昭和十七年から刻限を伝えても聞き分けが出来ない ので残念、立腹である事、この際、月日大神様の思惑を立てなければ残念晴らす、よって 月日退く、世界の大掃除をするとの事です。 教祖を苦しめた返しは天災地変で返すと聞 かせて頂いています。 教祖とは人間甘露台親様の事、火、水、風、土で返す。 天下火の雨 海は津波やとの事です。 また、神様の残念は経済不況にも現れる。医者も 薬も効かなくなると聞いています、今の世界はどうですか。政治、経済、宗教も警察(神 世の時代からかも)も医療機関、学校の一部の先生や生徒、手抜き作業などで世の乱れの ためメッチャクチャに成っています。人の迷惑を省みず気まま通す人が沢山出ています。 物が豊富で心が腐れています。神様は見抜き見通しでまいたる種は皆はえる事を知らない から気まま通して苦しんで居られるのが気の毒です。 早く大神様の思惑の人間甘露台を ださけば成りません。 神一条でこれ我が事、人ごとではありません。嘘か本当か確かめ て下さい。お伝えしました事は大切な事です、真剣にご検討下さいます様お願い致 します。『何でこんな事、書き残してあるのや』と言う内容のおさしづは沢山あります。 これに経文と聖書、祭と神話、行事と論語と年限証拠を加えてジグソウパズルすばビッ クリ仰天します、大神様の仕組み計画がハッキリと分かります。 天保九年戌年から昭和一九年申迄一〇八年、昭和二一年戌年迄百十年、昭和二六年卯迄 百十五年です。 百十五歳定命と定め付けたい・二十六日きたる事なら・二十六日始めか けるでと仰せ有ります。また 二六日に始まって、二六日に治まると仰せ有りました。 明治四十年から四十年は昭和二一年の戌の年になります。 おふでさきの二五二五の二五の五つに話しかけは八十年の年限です。今年より七十年はふ らふらとこれは七十年の年限です。元なる親の証拠に帯屋許しは助け道明けと仰せ有りま した。 どこを切っても金太郎飴と同じ、全て甘露台親様の確かな証拠が伏せてあります。 明治五年御教祖様は七五歳この年七五日断食されました。これは明治五年から七五年は 昭和二一年になり、人間甘露台を宣言して神一条に誕生した年でした。 祇園祭、八月一三日の夕方にアサのおがらを焚いて聖霊を迎える。八月一六日京都で五山 の送り火(大文字焼き)がおこなわてれていますこれも確かな証拠になっています。 詳しい話しは神一条教本部を訪ねて下さい。 願わくば迷信、盲信はやめにして月日大 神様(親神様)の教えに従って行きましょう。 明治二十年一月十三日のおさしづに さあさあ月日がありてこの世界あり、世界ありてそれそれあり、それそれありて身の内 あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで と仰せですが、あなたは神様の 教えに従った心定めですか? それともあなた独自の心定めですか? どちらでしょう。さ あさあ実があれば実があるで。実と言えば知ろまい。真実というは火、水、風。と仰せ有 りました、このお言葉は 御教祖様のおさしづです。火と水とが一の神、風よりほかに神は ないぞや とも仰せ有りました。 火の元は日様、母 南、水の元は月様、父、無です。火 と水とで風が起きます。これが、神様の働き天然自然と申しています。経文、聖書、ご神 言(みかぐらうた、おふでさき、泥海古記、おさしづ)は三大天啓でこの地球に暮らす全 ての者に月日大神様(聖霊)から与えられたものです。キリスト教の人の子を仏像に作り 真仏(弥勒菩薩)として拝ませておかれました。 年限が来てキリストの父の元から天理 の母の元に人の子が渡され神一条の仕込みを受けて二世重々の人間甘露台として出現させ、 この泥海世界を安心立命の出来る用木暮らしの世界に立て替えるため神一条の道を始めら れたのです。仏教では月日灯明台、弥勒菩薩が釈迦牟尼如来の役命の通り女の口から解い て来るが如しと教えて置かれました。蓮の台に乗っているのは泥田に花が咲く事の例えで 蓮根(レンコン)には十個の穴があいているこれは十柱の神様のご守護を頂いて後光をさ すと言う事です。キリストでは七ツ星七つの金の灯台、人の子と聖書で示されて天理教で は人間甘露台として出てくる事は上のレポートに示した通りです。それから七福神の弁財 天女も同じ事です。ただ一人を出す為のひな形でした。皆一つの事を示しておかれました。 宗教とは御親の教えと言う事です。おさしづに十七号のふでさきと言うものがあるそうな それは読むだけは読んでおけ、なれど解釈はせぬようにとことわりが有ります。聖書のペ テロ後書第一章20に汝等先づ知れ、聖書の預言は、すべて己がまヽに釈くべきにあらぬ を。 21預言は人の心より出でしにあらず、人々聖霊に動かされ、神により語れるもの なればなり。と書いてあります。詳しくは神一条教本部を訪ねてお聞き下さい。それから、 神一条とは『神一条の道は、どうしてほしい、こうしてほしい、また どう思ってほしい、 と思うのは人間心や。ただ、どうしてほしい、こうしてほしいは、自分とほかの者との勤 め合いさして、ともに楽しませたい。めいめいには、何を取るのやない。ただ見て楽しむ というのは親様の御心。人間でも子供に、どうしてほしいというのは、真の親の理ではあ ろうまい。ただ(ひたすら)どうしてやったらと言うばかり、やりたいばかりに帰るのを 待って、やりたいばかりに親の心を知るのを待っている。どこへ頼らいでも、大丈夫な親 に力がある。それを知らせたいというのも、立ててほしいとか、あがめてほしいからやな い。神一条の道は神様よりの便りを認めさして、安心させたい教えである。そこで心に理 を授けて、自由用さしてある』この親様の思惑は神一条人間甘露台の本の六ページ〜七ペ ージに書いてあります。聖書ヨハネ黙示録の第十六章十二節に『これ日の出づる方より来 る王たちの途を備へん為なり』とあります。日いづる国は日本の事です。聖書にはひな形 の道が書き残されています。また、『此の王達の日に天の神一つの国を建て給はん 是は 何時迄も滅ぶる事なからんこの国は他の民に帰せず却って此の諸々の口を打ち破りて之れ を滅せん之は立ちて永遠に至らん』と仰せ有ります。共に心を合わせて御神輿を担がせて 頂きましょう。ご意見、ご感想が御座いましたら是非、お聞かせ下さい。この辺で大和里 (おわり)にします。さて、あなたはだまされていませんか、それともだましていません か? 神一条は命の元を知る道です。 神一条をお知り下さい。神一条人間甘露台親様は 三千世界の母である事を聞き分けて下さい。 宜しくご思案、ご研究して下さい。
有り難う御座いました。 合 掌
求道者兄弟姉妹の皆様へ
平成十二年辰弥生 神 一 条 教 本 部 資料作成者 安達 政巨 hitosuji@osk4.3web.ne.jp TEL 06ー6721ー3419 FAX 06ー6721ー0463 |